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 蒸し風呂のような屋外、照り付ける真夏の太陽がじりじりと肌を焼く。セミの鳴き声と、ブラスバンド部の演奏がハーモニーを奏で、風に乗ってグラウンドにまで届いている。


 県立R高校の校舎のグラウンド横に併設されたプールでは、笛の鋭い音とともに水泳部が練習に精を出していた。水をかく手足が生む波音に、息継ぎによる呼吸音が交じり合い、夏の午後にふさわしい活気に満ちていた。


 その中で、吉川文也(よしかわ ふみや)はひとり、黙々と泳ぎ続けていた。腕を伸ばし、必死に水をかく。焦りが先行して、思うように進まない。自分よりも背が高く、筋肉質な部員たちが次々にターンを決め、軽やかに文也を置き去りにしていく。


──また、タイムが伸びなかった


 プールサイドに上がり、濡れた髪を手でかき上げながら文也は苦笑する。三年間、がむしゃらに練習を重ねてきた。しかし、記録は伸び悩んだまま。


 すでに彼は今年の県大会で予選落ちし、タイムはインターハイの標準記録にも遠く及ばなかった。それでも、引退してなお、彼はこうしてプールに通っている。仲間たちの泳ぎに劣等感を覚えながら。

 文也も分かっていた。水泳は技量もさることながら、肉体に左右される競技だ。どちらも備えていない自分が、前に出られるわけがないことくらい。


 162センチ、50キロ。色白で童顔。力強い泳ぎを支えるには、あまりに非力な自分の体。それが悔しかった。悔しいけれど、誰にもそんな素振りは見せない。


「おつかれー、文也! 今日、悪くなかったぞ」


「ありがと」


 声をかけてきたのは、今夏のインターハイ出場が決まっている同級生だった。広い肩幅、厚い胸板、長身ですらりと伸びた手足。文也がどれだけ努力しても手に入れられなかった、恵まれた肉体を惜しげもなくさらしている。


(心にもないこと言うなよ……)


 内心、嫉妬の炎を燃やしながらも、文也は笑顔を作った。タイムを更新した後輩には「すごいな」と微笑みかけながらスポーツドリンクを手渡し、同い年のエースにはタオルを差し出して「お疲れさま」と声をかける。まるでマネージャーのように、自分より優れた彼らを支える役割を演じながら。


(もし、僕もこいつらみたいに大きな体だったなら、きっと……。もっと、強くて逞しい体に生まれてきたかった)


 悲嘆にくれる文也の心の声は、当然その場にいる誰の耳にも届くことはなかった。



***


 着替えを済ませてプールをあとにした文也は、校舎裏の通路を歩いていた。水に濡れた髪は彼を嘲笑うかのように額に張り付き、肩から背負ったバッグはいつもより重たい。鼻の奥がツンとなって涙が出そうになった時、体育館の開け放たれた窓から、聞き覚えのある低く通る声が聞こえてきた。


「腰を落とせ、もっと重心を意識しろ!」


(この声は──)


 文也は思わず足を止め、窓から中を覗き込んだ。


 窓の隙間から、汗に濡れた男たちの激しい動きが見える。その中に、がっしりとした体躯で生徒のタックルを受け止め、指導をしている稲垣智章(いながき ともあき)の姿があった。文也のクラスの担任教師であり、レスリング部の監督だ。身長は181センチ、体重は85キロ。高校・大学時代にはレスリング選手として全国大会に出場した経歴を持つ、生粋の体育会系教師だ。現在は加齢や食生活の影響でやや体に肉がついてきたと、生徒たちにぼやくこともあるが、それでもその体型は十分すぎるくらいに屈強で、現役選手と見紛うほどである。


 レスリング用のマットの上では、稲垣が次から次へと数人の部員と組み合いながら指導をしていた。汗を滴らせ、鋼のような筋肉を躍動させる姿は、まさに圧巻だ。文也の目が、その魅力あふれる肉体に吸い寄せられる。

 無駄のない肉体、芯の通った動き、相手の体勢を制しながらも決して荒っぽくはない丁寧な技術。そのすべてが、文也には眩しく見えた。


 気が付けば、文也はスマホを手にしていた。カメラを起動し、窓越しに稲垣の姿を画面に収める。シャッター音を立てないように注意しながら、彼の筋肉で盛り上がった腕や背中、汗で肌に張り付いたシングレット越しの肉体を、何枚も何枚も保存していく。


──あんな風になれたら、どんな気持ちなんだろう。


 強く、頼りがいがあって、堂々としていて──稲垣はまさに、文也が憧れる【理想の男】の象徴だった。




 その日の夜、文也はベッドの中で寝返りを打ち続けていた。目を閉じても、なかなか眠気は訪れない。頭の中には、夕方に見た稲垣の姿が何度も何度もよみがえる。汗で濡れた肌、相手を投げ飛ばす瞬間に見せる逞しい背中、そして──


(……あの腋)


 タオルで汗を拭ったときに露わになった稲垣の腋。黒く濃い毛が生え揃っていて、それすらもセクシーに見えた。加齢臭まじりの男の体臭が脳裏によみがえり、文也は無意識のうちに唾を飲み込んだ。

 スマホを手に取り、写真フォルダを開く。そこには、盗み撮りした練習中の稲垣の姿が、何枚も保存されていた。どれも汗まみれで、写真からでも雄の匂いが伝わってきそうだ。無意識に指がスクロールし、画面に表示された一枚の写真で止まる。


 汗を拭っている途中の稲垣。腋を大きくさらけ出し、顔は真剣そのものだ。


 しばし見とれたあとフォルダを閉じると、ふと、画面上部に広告がポップした。


【理想の自分になれるアプリ】──そんな怪しげな文言に、文也は眉をひそめながらも、なぜか指が勝手に動いていた。タップすると、アプリのダウンロード画面に切り替わる。提供元は不明。レビューも少ない。

 ただのネタアプリだろう。そう思いながらも、インストールボタンを押す文也。インストールが完了すると、勝手にカメラ機能が立ち上がった。


『あなたの顔写真と、あなたの理想の人の全身が映った写真を用意してください』


 文也は、自分の顔写真を一枚撮ると、次に稲垣の全身が映った写真を選択する。タップひとつで、自分の顔が稲垣の肉体に貼り付けられた画像が表示された。


「……アンバランスだな」


 筋骨隆々とした稲垣の肉体、それに比べて童顔な文也の顔。どこか間抜けで、笑ってしまうような見た目だったが、合成された画像はあまりにもリアルで、実際にその肉体が自分のモノになったようにすら感じられた。気が付けば、文也の胸は高鳴っていた。体の芯が熱くなり、喉が渇く。


(……もし、本当にこうなれたら)


 そんな非現実的な妄想を胸に抱いたまま、文也はスマホを伏せて目を閉じた。夢の中で、自分が【理想の肉体】を使用して躍動する姿を思い描きながら──。




 翌朝、目覚ましのアラームが鳴り響く中、文也はベッドの上で身体を起こした。


(あれっ……?)


 視線がいつもより高い。それになんだか、体の感覚がおかしい。慌てて立ち上がったその瞬間、足元までの距離が遠くなっていたことで、文也は軽くめまいを覚えた。背が高くなっている。


 腕を見下ろすと、見慣れない逞しい筋肉。胸板は厚くて谷間があるし、薄く脂肪をまとっているものの腹筋はしっかりと割れている。脚もどっしりと太く、全体的に昨晩までの文也の肉体とは、あからさまに『密度』が違う。


 鏡の前に立つと、顔は幼いままだが、頭部の輪郭は角張っており、髪型も稲垣そのもの──短く刈り上げられたソフトモヒカンになっていた。耳も形が変わっており、レスリング経験者特有の餃子耳だ。


 ごくりと唾を飲み込んだ文也は、そのまま鏡の前でゆっくりと体を動かした。片腕を曲げると、筋肉がパンパンに膨れ上がって、大きな力こぶが現れる。胸を張ると、分厚い大胸筋がぐっとせり出し、腹筋のラインがより際立った。背筋を反らせて腰をひねると、広背筋と腹斜筋が波打つように動く。太ももはひと踏みごとに筋肉が盛り上がり、ふくらはぎもカチカチに硬くなる。


 全身が筋肉モリモリで、隙がない。動かすたびに重さと力強さを感じる肢体。鏡に映ったその姿に、文也はしばし言葉を失い、見惚れていた。


(……これが、僕の体……?)


 着ていたTシャツとパンツも、体にぴったりのサイズに変わっていた。クローゼットの中の制服も、すべてが今の肉体に合わせたサイズに変化している。


「……これ、夢じゃないの?」


 そう呟いた声すらも、体型が変わったことで低く太いものに変わっていた。バリトンボイスが文也の鼓膜を震わせ、魅了してくる。


 現実感がないまま、しかし胸の奥にはぞくぞくするような興奮が広がっていく。憧れだった【稲垣の体】を、ほぼまるごと手に入れてしまった──そんな実感が、文也の全身を駆け巡った。下腹部が熱くなって、下着の中でずっしりと重量感のあるイチモツが勃ち上がる。一気に巨大なテントを張ったグレーのボクサーパンツの先端が、先走りで黒くなった。


 文也はそっと自らのパンツをずり下げた。ぶるんっと勢いよく姿を現したそれは、圧倒的な存在感を放ちながら天を向いた。いつものモノとは似ても似つかぬ太さと長さに、思わず喉が鳴ってしまう。


「これが……稲垣先生のチンポ……。凄い……、んあっ♥♥」


 右手を添えただけ。たったのそれだけで全身に快感が走り、思わず声が出てしまった。指で触れた刺激と自分自身の口から出た野太い喘ぎ声だけで、一気に射精感がこみあげてくる。このままイッてしまいたい。文也はそう思ったが、すんでのところでどうにか理性を呼び戻した。


 勝手に他人の体を使ってオナニーするなど、さすがにまずい。それに早く支度をしないと、学校に遅刻してしまう。文也は急いで制服に着替えると、部屋を飛び出した。




 予鈴が鳴ったのと同時、遅刻ギリギリで文也は教室にたどり着いた。自分の体の変化に戸惑って時間をとられたのもあったが、いつもの朝食の量では腹が満たされず、おかわりをしてしまったせいもある。


 教室の扉を開ける直前、文也の動悸が速くなった。昨日までとはまるっきり違う姿の自分を見たクラスメートたちが、どういう反応を示すのか不安で仕方なかった。

 しかし恐る恐る教室に入った文也に、クラスメートたちはいつも通りの表情で声をかけてきた。誰一人として、彼の変化に気付いていない。外見は変わっていても、周囲の目には以前と同じ【吉川文也】にしか見えていないようだ。


(すごいや……、誰にもバレてない)


 文也は、背徳的な興奮を覚えながら、自分の席に着いた。体がデカくなったせいで、なんだか窮屈だ。そんな事実にすら、胸が躍ってしまう。どうにか股間がテントを張らないように耐えていると、チャイムが鳴り、教室の扉が開いて、担任の稲垣が姿を見せた。


 小柄で色白な【吉川文也】の体に、凛々しく精悍な【稲垣智章】の顔が貼り付いている。まるでコラージュのようなその姿も、やはり生徒たちは何も不思議に思っていない様子で、彼と言葉を交わしている。


(みんな、普通に接してる。僕たちの体が入れ替わってるのに……)


 言い知れぬ昂揚感に包まれながら、文也は胸の奥でまたぞくぞくとした快感が渦を巻くのを感じた。




 体育の時間。文也は柔道を選択していた。柔道着の袖に腕を通し、帯を締める。これまで不格好にしかならなかった柔道着姿が、今の体ではしっくりくる。引き締まった肉体と相まって、本職の柔道家にも見えなくもない。


「よし、じゃあ組んでみろ」


 体育教師の掛け声で、生徒たちは二人一組になって向かい合う。文也の相手は、同じクラスの男子。以前までは体格差で軽く投げ飛ばされていたが──


「始め!」


 合図と同時に相手が仕掛けてくる。しかし、文也の体は自然に動いた。腰を落とし、相手の動きを受け止め、逆に力を込めて押し返す。相手は驚いた表情で体勢を崩し、その瞬間、文也の腕が彼の襟を掴んだ。無駄のない動きで相手の体を浮かせると、あっという間に畳に叩きつける。ダン!という鈍い音が道場に響いた。

 投げられた男子生徒が、呆然とした表情で起き上がる。


「……すごいな、吉川」


「たまたま上手くいっただけさ。ほら、もう一回やろうよ」


 そうは言ったものの内心、文也自身も驚いていた。これまで柔道の授業で一度たりとも勝ったことがなかった自分が、難なく技を決めることができたのだ。


(僕、強くなってる!)


 その後も、次々と行われる実践形式の試合で文也は連戦連勝。倒されることは一度もなかった。


 かつては何度も投げ飛ばされ、悔しい思いをしてきた柔道の授業。だが今は違う。相手と組み合った瞬間、それをどう返すかを【この体】は覚えているのだ。稲垣の肉体が刻んできた経験や技術が、そのまま自分の血肉となっている。稲垣が長年積み重ねてきた鍛錬の結果が、今まさに自分の力となって発揮されていることに、文也はゾクゾクとした快感を覚えた。


(これが、稲垣先生の肉体……)


 授業の終わりを告げる笛が鳴る頃には、全身が汗にまみれていた。じっとりと濡れた柔道着の内側から、鼻腔を貫くようなむせかえる匂いが立ちのぼる。【稲垣智章】の体臭が、自分の体から発せられている。中年男特有の加齢臭。その香りを深く吸い込むたびに、文也はうっとりとしてしまうのだった。




 放課後、文也は水泳部の部室に向かった。


 蒸し暑さが残る空気の中、プールからは他の部員たちが練習に励む水音や掛け声が響いている。いつもの風景のはずなのに、今日は違って見えた。

 裸足でコンクリートを踏む足の裏に感じる硬さ、競泳パンツが臀部を包み込む感覚、肩から腕にかけての筋肉の存在感。そのすべてがこれまでの文也とは違っていた。


「吉川、アップからな」


 監督の声が飛ぶ。文也は軽く屈伸すると、プールに飛び込んだ。この体なら、きっと良いタイムが出るはず──。


 だが、泳ぎ始めてすぐに違和感を覚えた。水の中で体が思うように動かない。手足はしなやかで力強いはずなのに、タイミングやバランスが合わず、思ったように進まない。タイムを確認して、文也は息を呑んだ。昨日よりも遅くなっている。


「おい、どうした吉川? 疲れてるのか?」


 監督が不安そうに声をかけてくる。文也は必死に首を横に振ると、プールサイドに上がって監督のそばに駆け寄った。


「すみません監督……。ちょっと、うまく力が入らなくて……。フォームが崩れてるのかもしれません。アドバイス、もらえませんか?」


 監督は顎に手をやって、しばらく文也の姿を上から下へと見つめると、穏やかな口調で助言をくれた。


「お前のその体型だと、こういう泳ぎ方のほうが水を掴みやすいかもしれんな。焦らず、まずはストロークを丁寧に確認することだ」


 文也は監督の教えに対して深く頷き、ふたたび水に飛び込んだ。教えられたフォームを意識し、掌でしっかりと水を掴む感覚を確かめながら泳ぐ。すると、少しずつではあるが感覚が掴めてきた。体の軸が安定し、腕や脚が連動して力を伝えるようになっていく。【吉川文也】の水泳の経験と、【稲垣智章】の身体能力が徐々にかみ合い、ターンを決めるたびに体が水に馴染んでいくのが分かる。

 腕をひとかきするたびに、水が裂けるような感覚。足のひと蹴りで、体がぐんと前に伸びる。これまで感じたことのない、水を支配している感覚が文也の全身を駆け抜けた。


 練習の最後、計測の時間。文也のタイムは、自己ベストから2秒縮んでいた。


「おい吉川、どうした! さっきとは全然キレが違うぞ!」


 監督の声に、部員たちのざわめきが広がる。息を整えながらプールサイドに上がった文也は、濡れた身体をタオルで拭いながら、心の中で静かにほくそ笑んだ。濡れた競泳パンツの内側で、興奮が抑えきれず膨れ上がる。水の中で得た高揚感と、稲垣の肉体でタイムを縮めたという背徳感が、文也の中に熱を灯していた。




 自宅に着いた時、玄関には朝には無かった靴が、二足揃って並んでいた。どうやら両親は、文也より先に帰宅しているようだった。朝は二人ともすでに仕事に出ていていなかったので、体が変化してから顔を合わせるのは初めてだ。文也はいったん玄関先で立ち止まり、深呼吸を行うと、意を決して居間の扉に手をかけた。


「おかえり、文也」


「ごはんできてるわよ」


 居間から返ってきたのは、あまりにも日常的で、いつも通りの両親の声だった。


 恐る恐る顔を覗かせたが、母はエプロン姿で台所に立ち、父はテレビのニュースを見ている。どちらも、文也の異変にまったく気付いていない様子である。

 テーブルにはすでに夕食が用意されていた。今夜のメニューは豚の生姜焼き、ポテトサラダ、味噌汁という、ボリュームのある肉中心の献立だった。


 食卓についた文也は箸を手に取ると、まずは一口、二口と慎ましく食事を口に運んでいった。だがすぐに、そのスピードが速くなる。朝もそうだったが、食べ始めると箸が止まらない。白米をガツガツとかき込み、生姜焼きを目いっぱい口に頬張る。ポテトサラダをすくい取り、味噌汁で流し込む。食欲が留まるところを知らなかった。


 ついには茶碗を手に炊飯器の蓋を開け、おかわりを山のように盛りつける。


「よく食べるわね、最近部活ハードなの?」


「う、うん……ちょっとね。なんだかお腹減っちゃって」


 結局、ごはんを二回おかわりした文也は、食器を片付けようと立ち上がった。その瞬間、目の前に立つ両親の姿に違和感を覚えた。


(……え、二人ともこんなに小さかったっけ?)


 昨日までは自分とほぼ同じだったはずの父と母の目線が、いまや頭一つ分は低い位置にある。その差に、文也の胸がざわめいた。自分の肉体が【稲垣智章】のモノと入れ替わったのだと、改めて実感する。そして、それがまぎれもない現実であることへの倒錯的な喜び。


 文也は胸の内に密やかな興奮を抱きながら、浴室へと向かった。




 バスルームに入り、服を脱いで鏡の前に立つ。改めてじっくりと目にするが、やはり全裸姿は迫力が違う。


 文也は自分の今の肉体を舐めるように眺め、ボディソープで泡まみれになった逞しい体を、大きな掌で隅々まで撫でまわした。腕を曲げて出来た力こぶに見惚れ、泡を滑らせながら盛り上がった大胸筋をなぞる。そのまま指を腹筋、太股、尻へと這わせていくと、【稲垣智章】の全身が喜んだようにぶるりと震えた。


 そして、股間。密林のごとく剛毛が生えたその場所に、無意識のうちに泡のついた手が伸びていた。


「あっ……♥」


 反応は、早かった。触れた瞬間、ぐぐっと反り返るように膨張を始める巨大な竿。稲垣の掌だから収まるものの、文也本来の掌だと握り切れないほどの太さだ。


(やばい……やばい……)


 このままここで始めてしまえば、止まらなくなる。文也はどうにか呼吸を整えると、急いで体を洗って、風呂場をあとにした。



──しかし、熱は冷めなかった。


 タオルで体を拭き、部屋に戻った文也は、なおも続く火照りを感じながらベッドに腰を下ろした。下半身には熱が戻りつつある。扇風機の風を浴びながらも、息が上がるのを止められない。喉が渇き、汗が首筋を伝って落ちていく。浴室で抑えたはずの衝動が、ふたたび全身に渦巻く。抑えきれない。


 文也は立ち上がり、パジャマ代わりのTシャツと下着を脱ぎ捨てた。


 鏡の中には、レスリングで鍛え抜かれた肉体が、堂々とした姿で映っていた。その股間部では、文也本来のモノとは比べ物にならない大きさの巨根が勃ちあがりつつ、先端から透明の糸を垂らしている。


(性欲……強くなってる。まるで、稲垣先生みたいに……)


 小ぶりの鶏卵サイズの睾丸二つの中では、きっと次から次へと煮えたぎるような精子が大量生産されているに違いない。


 文也は、震える指先で淫水焼けした肉棒を包み込んだ。それはあまりにも力強く、存在感に満ちていた。


(稲垣先生のチンポ……でも今は……僕の……)


 羞恥と快感と背徳が渦巻く中、文也は本能的にシコシコと右手を動かしていた。足は勝手にガニ股になって、左手は優しく玉袋を撫でさする。普段、文也がするオナニーとはまったく違う方法だ。文也はすぐにこのオナニーの仕方が、稲垣の肉体が長年にわたって培ってきた経験に基づくものであることを理解した。


「はぁ……♥ んぅっ、きもちいいッ♥♥」


 目を瞑って自分の声を聞いていると、稲垣がよがって喘いでいるように聞こえてくる。


「【吉川】、イイぞ、お前の手コキ……んあッ♥♥ あぁ~っ、出るっ! 【吉川】ァ、イクッ♥ イ゛グゥウウウッ♥♥♥」


(稲垣先生……! 僕、先生の体でイっちゃう♥)


 そう自覚した途端、文也は一気に限界へと駆け上がった。丸太のような太股ががくがくと震え、手の動きがますます加速する。痙攣する肉棒が、欲望を吐き出そうと膨れ上がり──


──ドビュッ、ブピュウウウッ! ……どぷっ……どくんっ……びゅくっ……!!


 大量のザーメンが、鏡目がけてぶちまけられた。白く濃厚な塊は、青臭さをまき散らしながら辺り一面に降り注ぐ。ゼリーのようにドロドロとしたその精液は、鏡や壁にべっとりとへばりついた。


「はあ……♥ はあ……ッ♥♥」


 身体の芯がジンジンとして疼くのを感じる。浅ましくも勃起した肉棒をひくつかせ、鏡に飛び散った自分の精液を舐め取るように舌を伸ばす。


「これが稲垣先生のザー汁の味……♥ 生臭くて、ねっとりとしてて……んぐっ♥ すげっ、興奮するッ♥♥」


 一発では性欲は治まらない。文也は鼻息を荒くしながらオナニーに耽り続けた。時間が経つのも忘れ、三度発射してもなお萎えることを知らない男根に戸惑いつつも、彼は『理想の肉体』を使って存分に楽しんだのだった。




 平日の朝、稲垣はスマホのアラーム音で目を覚ました。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が、寝ぼけた頭に心地よく差し込む。まだ頭がぼんやりとしていたが、ゆっくりと身体を起こしてベッドから降りた。


(……なんだか、今日は体が軽い気がするな)


 軽く伸びをしてから、タンスの引き出しを開け、まずジョックストラップを穿き、ポロシャツを頭から被る。なんら違和感はない。身に着けたものは、ぴたりと体にフィットしている。鏡に映るのは、いつも通りの自分だ。


「よし、今日も一日がんばるか!」


 分厚く切ったベーコンに目玉焼きは二つ。大盛りご飯をよそい、インスタントの豚汁にネギを散らして湯を注ぐ。それと納豆も忘れてはいけない。朝からがっつり食べるのが稲垣流だ。


 しかし、思いのほかすぐに箸が止まった。いつもの半分も食べていないのに、満腹になってしまったのだ。明らかにいつもより食が進まないことに、稲垣は首をひねった。食欲が落ちるような体調不良も思い当たらず、ただただ不思議な気持ちだけが胸に残った。


 身支度を整えながらも、どこか体の調子が「いつもと違う」と語りかけてくるようだった。だが、明確な不調ではない。


(まあ、たまにはこういう日もあるか)


 気を取り直した稲垣は、学校に向かうためジャージを穿いて、家を出た。


 通学路で出会う生徒たちから朝の挨拶をされるたび、ふとした視線の角度が気になる。多くの生徒が、稲垣を上から見下ろしてくる。何かがおかしい。だが、その理由に彼はたどり着けなかった。




 結局一日中、謎の違和感の正体は分からず、放課後、稲垣はいつものようにレスリング部の練習を見に体育館へと向かった。生徒たちはマットの上で準備運動を終え、スパーリングの順番待ちをしている。


「よし、今日も俺が相手になるぞ!」


 いつも通りの口調でそう言いながら、稲垣はシングレットに着替えてマットの中央へ立つ。監督自らが生徒と組むことで、実戦感覚を磨かせるのが稲垣の方針だ。だが──


「失礼します!」


 勢いよく組み付いてきた三年生の部員のタックルに、稲垣は思わずバランスを崩した。踏ん張りがきかず、抵抗する間もなく軽々と持ち上げられ、そのままマットに背中を打ちつけられる。


「だ、大丈夫ですか!? 先生!」


 心配そうに駆け寄る部員に、稲垣は手を挙げて答えた。


「……ああ、大丈夫、大丈夫だ」


「すみません、先生……まさか決まるとは……」


「いや、力つけたな。いいタックルだ」


 平常心を装いながらそう返す稲垣。笑顔を浮かべつつも、その胸中には波立つような疑念が渦巻いていた。


 その後も別の部員たちとのスパーリングで、何度も姿勢を崩され、組み負け、転がされる。汗をぬぐいながら、稲垣は深く息を吐いた。全国大会出場の経験もある自分が、本気になっても、いとも容易く教え子たちに倒されてしまうとは。

 生徒たちの驚いた目が突き刺さるなかで、稲垣の胸には、得体の知れない不安が広がっていた。




 稲垣がかすかな違和感を抱き始めてから一週間後。レスリング部の練習が終わり、夕方の体育館に静けさが戻り始めていた。


 部員たちはそれぞれマットの片付けに精を出しており、稲垣はその様子を体育館の隅で見守っていた。この一週間、ほぼ毎日彼らのスパーリングの相手を務めたが、やはり稲垣は簡単に倒され続けた。しかし、もはやそれが当たり前のことなのだと、部員だけでなく稲垣すらも思うようになっていた。


 稲垣が汗ばんだシングレットの肩紐を引き、首筋の汗をタオルで拭っていると、体育館の入り口から誰かが彼の方へと近づいてくる足音が聞こえた。


「……稲垣先生、今、少しお時間いいですか?」


 顔を上げると、そこには吉川文也が立っていた。


 稲垣が担任をしているクラスの生徒で、水泳部員だ。小柄でおとなしい印象だったが、どこか最近、以前とは違う雰囲気を纏っているように感じられる。だがその違和感が何に起因するのか、稲垣には分からない。


「おう、吉川か。どうした、何かあったか?」


「ちょっと、相談したいことがありまして……」


 その目は真剣だった。稲垣は頷き、着替えるのは後回しにして、「じゃあ、教官室で話そうか」と促した。


 並んで体育館を出て、体育教官室へと向かう。その途中、文也は何も言わず、ただ稲垣の隣を静かに歩いていた。なんだか、自分のほうが文也より、二回りほど体格が小さいようにも感じられ、それがどこか奇妙に思える。


 教官室に到着し、稲垣がドアを開けると、文也は後から入室し、ゆっくりとドアを閉めた。そしてカチャリと鍵をかける音が響いた。


「……吉川? なんで鍵を……?」


 問いかける稲垣に、文也は真剣な面持ちで振り返った。


「先生に、話さなきゃいけないことがあるんです」


 その言葉に、稲垣は背筋がわずかに冷たくなるのを感じた。文也は一歩前に出て、低く抑えた声で言った。


「信じてもらえるか分かりませんが、僕たち……入れ替わってるんです。顔以外、全部」


「なにを……言ってるんだ、お前……」


「先生、思い返してみてください。ここ最近、食欲が落ちてたり、目線の高さが変わったと感じませんでしたか? レスリング部員たちとのスパーリング、うまくいかなくなってませんか?」


 文也の問いかけに、稲垣は言葉を失った。思い当たる節しかない。だが、それが目の前の生徒が語る【入れ替わり】などという、非現実的な話に結びつくとは到底思えなかった。


「それでも、納得できないって顔してますね。でも僕たちはお互いの体を交換した状態で、一週間生活してたんです」




 文也はゆっくりとポケットからスマホを取り出すと、画面を稲垣に向けて差し出した。


「これ……見てください」


 スマホの画面には、写真加工アプリの編集画面が表示されていた。そこには、稲垣の筋骨隆々な肉体に、どこか幼さの残る文也の顔が貼り付けられた、明らかにアンバランスな合成写真が映っていた。


 その画像を見た瞬間、稲垣の目が見開かれる。


「……これは……っ」


 稲垣は、自分の体に纏う違和感の正体を、ようやく理解した。食べきれなくなった食事、他人から見下ろされるたびに感じる不快感、力の抜けたスパーリング──。全ての原因は、このせいだったのだ。


「まさか……本当に、俺たちの体は……」


 震える声で呟いた稲垣に、文也は静かに頷いた。


「入れ替わってます。一週間前に、このアプリで編集して……朝起きたら、こうなってました」


 稲垣は、唇を噛みしめながら文也を見据えた。


「……頼む、吉川。元に戻してくれ。俺は、教師だ。それにレスリング部の監督として、このままお前の体で生きていくわけには……」


「大丈夫です、先生。僕、調べたんです」


 嘘だった。けれど、稲垣はそれを疑わなかった。


「一度、深く繋がれば……元に戻れるらしいです」


「深く繋がるって、いったいどういう意味だ?」


「セックスです」


「はぁっ?! セッ……!?」


 稲垣は絶句し、後ずさりをした。しかし文也は一歩前に進みながら続ける。


「そうしないと、僕たちはこのままなんです! しかも制限時間があるみたいで、今日中にセックスしないと、完全に元に戻れないんです! いいんですか先生、一生このままで?!」


「いいわけあるかっ!! でも、そんな話、信じられるわけないだろ!?」


 怒鳴る稲垣の腕を、文也はグッと掴んで引き寄せ、不意に唇を押しつけた。一瞬の出来事に驚く間もなく、舌を入れられて口内を弄られる。男とのキスなんて、学生時代に先輩におふざけでやられて以来のことで、稲垣は身をよじって逃れようとした。だが文也は、逆により強く抱きしめ、激しく口内を犯してきた。


「んむふぅ……、稲垣せんせ……好きです……♥」


 頰を赤らめた文也が耳元で囁いた瞬間、ゾクリとした感覚が背筋を駆け巡るのを感じた。抵抗しようにも全身が、今目の前にいる【稲垣智章】の肉体を求め、甘く疼いている。文也はソファーに稲垣を座らせ、自らも隣に腰かけると、耳元でさらに誘惑を重ねた。


「僕を信じてください、先生。協力して、元の体に戻りましょう……♥」


 気付けば稲垣は文也と向き合い、貪るように唇を重ねていた。




──そして、行為は始まった。


「先生、来てください……。この日のために、このケツマンコ、男のチンポを受け入れられるように準備してきたんです……」


 膨れ上がる筋肉の下、欲を誘うように突き出された尻。ひくひくと震えるピンク色の大きな穴を見せつけられてしまえば、稲垣ももう我慢の限界だった。この一週間、レスリング部の部員たちと体を交え、股間が反応したことは幾度となくあった。それも、これまでは気のせいだと考えないようにしていたが、【吉川文也】の体に押し込められてからの稲垣は、常に悶々とした欲望を抱えていたのだ。


「大丈夫ですよ、稲垣先生。僕が先生のこと、受け止めますから♥」


 文也はそう言うと、稲垣の着ているシングレットを優しく脱がした。わざと稲垣が興奮するように体を密着させながら脱がすせいで、彼の肉棒はますます硬くなり、先走りが溢れ出るのを止められない。


「吉川……っ♥」


 目の前にあるのは、ほんの少し前までの自分の肉体なのに、あまりにも官能的だった。抱き着けば、自分の頬が沈み込みそうなほど分厚い胸板。頼りがいのありそうな、筋肉が雄々しく隆起した背中。引き締まっていながらも、豊満で主張の激しいヒップ。毛むくじゃらな尻の穴は、稲垣を迎え入れようとぱくぱくと切なげに開いている。


 稲垣は文也の腰を掴むと、その穴へ肉棒をあてがい、一気に奥まで突き入れた。緩いわけではなく、しっかり締め付けてくる粘膜の感触に、思わず声を詰まらせる。


「ああッ……吉川っ!」


(俺が……俺のチンポが……【俺】の体で感じるなんて。いや、このチンポは吉川のモノなのか……)


 頭がどうにかなりそうだった。【吉川文也】の肉体を使って、かつての自分──【稲垣智章】を犯すという行為。それは想像していたよりずっと甘美で、倒錯的だった。


「ああっ♥ ……あ゙っあっ、せんせぇ……♥」


 文也の口から甘い声が漏れ始めると、稲垣はより一層激しく腰を打ち付けた。野太い声が愛おしい。聞き覚えのある声。もっとその声を聴いていたい。もっと彼を感じたい。彼の肉体に溺れたい。


 脳の奥から大量のドーパミンが放出されるのを感じたとき、稲垣は文也の中に射精していた。同時に全身を強烈なオーガズムの波が襲いかかり、意識が飛びそうになるほどの絶頂へと押し上げられていく──その瞬間だった。文也の顔に徐々に変化が現れ始めた。


 細かった眉が濃く太くなり、男の威圧を漂わせるシワが額に刻まれる。目つきは鋭くなって、優しく澄んだ光を宿していた文也の瞳が、稲垣らしく変わっていく。鼻筋は骨ばって隆起し、小鼻が広がるたびに、獣のような荒い息を吐き出す。口元は厚く逞しくなり、唇の輪郭がくっきりと浮かび上がる。





 その変化に気付いた稲垣が、息を飲み込むようにして呟いた。


「……よ、吉川……?!」


 相対する男の顔が、ゆっくりと自分そっくりに変わっていく。稲垣はその変化を目の当たりにして、ゾクゾクと全身が震えた。快感とも恐怖ともつかない強烈な衝動。加えて、動揺する稲垣は、己の顔面のパーツがぐにゃぐにゃと変形するのを感じていた。鼻や口をつねられ、押し込まれるような異様な感覚。輪郭が少しずつ変化していって──


「ん、んんっ……♥ ああ゛ぁぁ~~~♥♥♥」


 肉体だけでなく、顔までが文也そっくりに変わっていく。嫌だと拒もうとしても、【吉川文也】の体が【吉川文也】の顔を求めてしまうのだ。全身がすべて入れ替わってしまう感覚に、稲垣は仮性包茎の【吉川文也】のチンポを震わせ、アへ顔を晒しながら、【吉川文也】として初めての射精をしてしまった。



***


 気が付くと、文也は稲垣に重なるようにして、教官室のソファーの上に横たわっていた。制服ではなく、稲垣がいつも身に着けているシングレット姿で。

 この一週間たっぷりと愛撫してきた厚く張った胸板、太い腕、逞しい脚。そしてその屈強な肉体に見合った、男らしい顔。


──そこには、もう完全な【稲垣智章】の姿があった。


 額からは汗が滴り落ち、鼻先を掠めるようにシングレットからは、むせ返るような汗の臭いが立ち昇ってくる。【彼】の──いや、自分の体臭が。生々しく、野性的な、雄の匂い。それが文也の鼻腔を刺激し、脳を痺れさせる。


「……やった……。やっと……♥」


 体育教官室の鏡の前に立ち、文也──いや、もう【稲垣智章】となったその男は、自分の姿をうっとりと見つめながら、深く吐息をついた。後ろを振り向くと、ソファーには制服姿の【吉川文也】が小さく身を丸めて眠っていた。


 表情は穏やかで、まるで何もなかったかのようで、かつての【稲垣智章】の面影は微塵も残っていなかった。



「……【吉川】、起きろ」


 文也はゆっくりと稲垣の肩に触れた。


 稲垣がまぶたを擦りながら、徐々に意識を取り戻す。ぼんやりとした視界に映り込んだのは、シングレットを着た、屈強な男の姿。


「……俺……?戻ったのか……?」


 一瞬、元に戻ったのだと錯覚しかけた稲垣だったが、すぐにそれが【自分】ではないことに気付いた。


 目の前の男──その肉体はまさに自分そのもの。筋肉の盛り上がった腕、逞しい胴体、そしてその上に付いている精悍な顔も、確かに【稲垣智章】のモノだった。何もおかしいところはない。その肉体を操っているのが、自分ではないということ以外は──。


 稲垣が目を見開いた。


「おいっ……吉川っ、これはどうなってるんだ?! 元に戻るんじゃなかったのか?!」


 震えるような声で文也に詰め寄る。しかし、文也は唇の端をわずかに持ち上げて笑った。


「何言ってるんだ、【吉川】? ちゃんと戻ったじゃないか。体も顔も一致しているし、レスリング部監督の【俺】が、シングレットを着ている。何もおかしいところはないだろ?」


 唖然とする稲垣に、文也はゆっくりと歩み寄り、肩に手を置いた。大きくて、ゴツゴツとした掌。それに彼の口調は穏やかで、教師然としていた。


「でも……違う……これはおかしい、お前は──」


 稲垣が言葉を続けようとしたとき、不意に脳裏に、今日まで教師として過ごしてきた日々の記憶が浮かんだ。けれど、その映像はだんだんとぼやけていった。


 その代わりに思い出されるのは、プールの水の温度や、水泳部の監督に教えられた呼吸の仕方。そして、小さな頃からずっと悩んでいた低身長へのコンプレックス。


「な……なんだ……これは……。ちがう……、これは俺の記憶じゃ……」


 混乱する稲垣を抱きかかえると、彼の耳元で文也は囁いた。


「今回は運よく元の体に戻ったが、もう二度と怪しいアプリは使うんじゃないぞ、【吉川】」


 その低い声に、稲垣の身体がびくりと震える。


「あ、あぁ……すみません……」


 言いながら、自分の言葉に違和感を抱いた。


『すみません』? 【俺】が教師だぞ。なぜ、そんな……


「なんだ、まだ用があるのか【吉川】?」


 文也が怪訝そうな顔で、じろりと稲垣を見つめる。


「……い、いえ……」


「もう行っていいぞ。水泳部の練習、頑張れよ。応援してるからな、【吉川】」


 文也の口から繰り返されるその名前。


 【吉川】と呼ばれるたびに、稲垣の中から【稲垣智章】としての記憶が一片、また一片と剥がれ落ちていく。代わりに、そこに収まるように流れ込んできたのは、【吉川文也】としての過去と感情。


──俺は……僕は……


 彼の中でくすぶっていた違和感は、もう消え去っていた。そっと頭を上げると、稲垣──いや、【吉川文也】は静かに体育教官室を出ていった。


 その背中を見送った文也は、シングレット越しに主張する乳首の輪郭を弄びながら、鏡の前に立った。ソフトモヒカンの髪型に、色気のある男らしい顔立ち。首から肩にかけては盛り上がるような筋肉が連なり、太い腕には血管が浮かぶ。胸元から腹にかけてのラインは厚く引き締まり、シングレットに包まれた下腹部のあたりからは男らしさの象徴がくっきりと浮かび上がっている。少し体をひねるたび、筋肉が波打ち、汗の光が肌を滑る。


「……これで、完璧だ」


 そう呟いた声には、うっとりとした熱がこもっていた。先走りをドクドクと垂れ流す肉棒が、シングレットをくっきりと形作っている。自分の肉体に見惚れながら、【稲垣智章】は自らの股間をゆっくりと撫で上げた。鏡に映った二枚目の顔が、デレっと、満足そうに歪む。


 そしてそのままシングレットの中に手を滑り込ませた彼は、太い指を幹に絡ませて上下に扱き始め、全身から立ち上るむせ返るような男の汗の匂いに包まれながら、その快感に身を任せるのだった。


(了)

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Comments

黒竜Leo

更新お疲れ様でした! 顔以外が入れ替えられた後違和感ない先生に申し訳ないですが、その後一時的異変を気付いてからまた忘れされようになった過程がとても楽しかったです。 同じアプリを使った仲間があれば色々やれますが、使用者同士は入れ替わった人を気付けるのも分かりませんね...

ムチユキ

コメントありがとうございます! 『アプリ使用者なら、他の使用者の顔が入れ替わっているのにも気付ける』って展開のほうが良いですよね。自分が他の人と徐々に入れ替わっていくのも興奮しますけど、他のアプリ使用者が誰かと入れ替わっていくのを見るのも絶対に興奮しますし!

屈強な教師の体に童顔な生徒の顔が貼り付くアンバランスな感じが魅力的でした! 文也くん(顔以外は稲垣先生)の正面姿や文也くんの体になった稲垣先生のイラストも見てみたいなと思いました

ムチユキ

コメントありがとうございます! 魅力的と言ってもらえて、良かったです。童顔なんて普段描かないので、最初はもっともっとアンバランスでキモイレベルだったので(笑)